心肺蘇生法の訓練人形レサシ・アンにはモデルがいるの?

2022年3月23日

心肺蘇生法などの練習で使われるダミー人形を見たことがある方は多いのではないでしょうか?
この人形は、ノルウェーのレールダル社が1960年に医療用マネキンとして発表したものであり「レサシ・アン」という名前です。
実はこのレサシ・アンにはある人物のデスマスクがモデルとなっているということですが、そのモデルとは誰なのでしょうか?

セーヌ川の身元不明少女

1880年、フランスパリのセーヌ川で1人の少女の遺体が引き上げられました。暴行の跡がなかったことから自殺と考えられ年齢は16歳と推定されました。
遺体の検査に立ち会った病理医が少女の美貌に心打たれ、石膏のデスマスクを取ったということです。

セーヌ川の身元不明少女は、セーヌ川から溺死体で見つかった身元不明の少女。1900年以降の芸術家の家では、少女のデスマスクを壁に飾ることが流行になった。彼女の顔姿は数多くの文芸作品の題材になった。

しばしば繰り返される物語によると、1880年代の終わりごろ、セーヌ川のルーブル河岸から一人の少女の遺体が引き上げられた。その遺体には暴行の痕跡がなかったことから、自殺と考えられた。
パリの死体安置所の病理学者は、彼女の美貌に心打たれ、型工を呼んで石膏のデスマスクを取らせた。別の記述によると、そのマスクはドイツのあるマスク製造業者の娘から取ったものだという。この娘の身元はついに判明しなかった。

この身元不明の少女の顔は、心肺蘇生法の訓練用マネキン「レサシアン」に使われた。このマネキンは1958年にピーター・セイファーおよびアズムント・レーダルによって作られ、1960年以降数多くの心肺蘇生法の講習会で使われた。 このため、この顔は「史上もっともキスされた顔」と言われる

Wikipedia-セーヌ川の身元不明少女

溺死なのになぜ美しい状態だったのか?

これだけパリで有名になったデスマスクの少女ですが、最後まで身元が不明でした。
更に、溺死をしたにも関わらず美しい外見を保っていることがあり得るのでしょうか?

このことから、少女は本当に溺死だったのか?という根本的な問題もでてきたようです。

そして、デスマスクの型を取ったロレンジという型工は、奇妙な言葉を残していました。

このモデルは型を取ったときには死んでいなかった

という言葉です。

まとめ

数々の疑問を残す謎の少女ですが、1880年代のことなので今となっては真相は闇の中です。

ただ、わかっていることは…セーヌ川で川から引き上げられた身元不明の少女の遺体が美しい状態だったために病理医が石膏を取り、そのデスマスクをモデルにした医療用人形が現在も活躍をしており、心肺蘇生法の練習の成果によって世界中の沢山の人の命を救っているということです。

パリでデスマスクが有名になったにも関わらず最後まで身元不明だったことや、溺死なのに美しい微笑んだような顔をしていることから…もしかしたら人々を救う為に天から遣わされた少女だったのかもしれませんね。

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